プログラミング教育が必修化されたけど本当に必要なんだろうか?必要でないものにお金をかけているだけじゃないのか。小学生の早い段階からプログラミングをしても、忘れるし意味ないんじゃないかな?
このような意見があるのも事実でこの内容について考えてみたいと思います。
Yahoo知恵袋などで検索するとこのような疑問や意見をたくさん見つけることができます。
プログラミング教育の目的としてはプログラミングという行為自体にあるわけではなくプログラミングを通して論理的思考能力や物事に対して粘り強く取り組む姿勢、ひいてプログラミング思考を養うことにあります。
プログラミング的思考とは
自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力のこと
このことを社会生活に応用すると難しい事柄をひとつひとつ小さく分解していき、解決していくことで結果的には大きな問題をクリアしていくのではないかと捉えています。また、完全に解決しなくても、一部分でも改善がされたらそれは大きな一歩ですので、意味があります。
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プログラミングが役に立つかどうかは結果論
プログラミングが要、不要の議論をすると必ずと言っていいほど、自分の人生経験でプログラミングという行為は自分の利益になったかどうかを取り上げる人がいます。
ヤフー知恵袋
プログラミング教育は無駄だと思います。IT教育を行うならば、もっと教えてほしい事が沢山ありますし、プログラミングを行っても論理的思考が付くわけでは有りません。それが証拠に、私は仕事柄プログラマーを沢山知っていますが、プログラマーの思考能力は普通の人並みです。何のためのプログラミング教育は不明です。
こんな感じの質問や意見が数多くあります。
ほとんどの意見がデータや根拠といったものがなく、自分の人生の経験談を元に議論がされているのが現状です。ぶっちゃけそんなのあなたの都合でしょ、結果論でしょとツッコミたくなりますが。
役立つかの判断は親がするべきではない
まず思うことは親の経験で物事を判断してくれるのはありがたいですが、時には大きなお世話になることもあります。
将来のことは誰にもわからないので、どんな知識が必要なんてこと担保できないです。なので、無駄かどうかの判断を親がして、結果子どもの可能性が狭まるのはナンセンス。
確かにそうですね。自分が子どものころはスマホを使用して動画を気軽に見たり、コンテンツがこんなに増えているなんて想像もつきませんでした。
職業YouTuberなんて存在しなかった職業が出てきていますもんね。これからもどんどん予測できないことが起きていくと思います。
プログラミングの需要は右肩上がりの現状
IT技術者という大枠で見れば今後人材が不足していくだろうとデータがあります。具体的には2030年には79万人が不足すると言われており需要はあり、仕事がなくなることはないと考えられます。
今、小学生くらいの子どもが働き出すのは10年から15年後くらいと思いますが、ちょうど、このタイミングなので、ここが大きく変わることはなさそうです。
最近だと、大人向けのプログラミング教室などがあり、そこから転職といったコースがありますが、ITスキルがそんなにないことが浮き彫りになり、地雷人材として注意されているそうです。そのため、小さいころから、論理的思考を強化して、付け焼き刃にならないようにする必要があります。
結果論でいうならば、プログラミングを勉強しても無駄になる可能性は低そうですね。なんらかの形で必要となってきそうな感じがします。
最近では子どもだけではなく大人もプログラミング教室に通ってスキルを身につける時代なので、よりプログラミングやプログラミング的思考が身近になっています。
プログラミングという行為の認識ズレ
親目線ではイメージ先行でプログラミングは「技術や行為」として位置づけており、文部科学省としてプログラミングを通して学んでほしいものとが差が出ているような気がします。
プログラミングを学習するってことはカタカタとパソコンを叩くイメージしかなかったです。それがどう教育に結びつくのかが理解できなくて。
文部科学省が学生に身につけてほしいと考えているのはプログラムという行為ではなく「プログラミング的思考」になります。
ヤフー知恵袋
文科省はなぜ小学校でプログラミングという意味のわからない無駄なことをやるのですか?昔はプログラミングなんてなかったのになぜですか?伝統を破壊するためですか?
上記のような「昔はなかったのになんで今する必要があるのか」という意見です。実益として必要性があるのかという観点で考えていみたいと思います。
親目線のプログラミングという行為なら確かに不要
プログラミングの行為だけを切りとるなら確かに、プログラミングは不要かもしれません。といっても、実益以外の教養は不要みたいな考え方だと英語などもいらなくなりそうです。
実益重視だと音楽や体育なども不必要になってしまうのではと感じています。
当然、そんなことはなく、学ぶからにはなにかしらの目的や意図があるので、昔はなかったから今もやる必要なないの短絡的な意見が通ってしまうと、常に進歩はありません。
伝統を破壊するためですか?ってひどいですね。なんの伝統なのでしょうか・・・。
このような思考をせず思ったことを口にしないように教育をするという意味があればそれは大切なことだなと思ったりしています。
文部科学省が定義しているのはプログラミングを通してプログラミング思考を養うこと
プログラミング思考とは、処理→条件→結果といった物事がどういった流れで処理されているのかを理解することを目的にしています。
なのでいわゆるテキストプログラミングと呼ばれるものより、ビジュアルプログラミングだったり概念を理解することを指しています。
プログラミング教育の流れを見てみるとまずは問題発見し、分解、抽象化、一般化とモデル化し実装、運用や評価を行うというかたちです。
大きな動きを解決可能な小さな動きに分けること。特に複雑な問題の場合には、解決できる小さな問題に分解して、問題を解決しやすくする。
目的に応じて適切な側面・性質だけを取り出し、他の部分を捨てること。
ものごとの類似性や関係性を見出すこと。さらにそれを別の場合でも利用できる内容にすること。一般化することで予想しやすくなったり、より汎用的に問題を解くことができる。
プログラミングをここまで細分化や深いところまで考えていませんでした。いわゆるコーディングの部分だけを考えていたのかもしれません。
ちなみにビジュアルプログラミングの有名どころはScratchです。ブラウザベースで無料で行えるのでおすすめです。
まとめ:プログラミングを学ぶことは無駄ではない
正直なところ、プログラミングがいるのかという視点は親目線で判断すると結果論になりそうなので、親が判断することではありません。
将来的にもプログラミングの仕事の需要は増えることは確実視されており、また、プログラミング的思考を軸にプログラミングに直結することではなくても、問題解決に導く思考を学ぶことができるのは重要です。
最近では、小学生からプログラミング教室を始めている家庭も多いので今後のことを考えるとさらに加速していくのかなと思います。そして、できる子とできない子の差がどんどん広がっていくといったことが予想されます。
プログラミングが教育として無駄ではないことが理解できました。親の視点ではなく、これからの需要と世の中を生きていくためには確かに必要な能力だと思いました。
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