小学校からプログラミングが必修化されました。そんな中、そもそもプログラミングって必要なのかと意見があります。
当然、そのような意見は出ると思っていて、理由としては、自分がいまプログラミングをしなくても困っていないから、プログラミングがなくても問題ない理論だと思います。
そんな子どものプログラミングって実際意味あるのかということについて考えをまとめたいと思います。
細かい部分はおいといて、大まかな仕組みやプログラミングを通してITの知識を身につけることができるので意味は大アリ
そもそも、いるいらないの基準ってなに?
この基準を説明できないと必要とされると思います。基本的に必要性については文部科学省の資料がググると出てきます。
それだけじゃ面白くないので個人的意見を広げる
見出しの通りですが、お上がそう言ってるからそうなんですだと、話が終わってしまうので、自分の考えを述べます。
使うか使わないかで判断してはダメ
仮にこの理論が通ずるなら、学校教育を全否定しているのではないかなと思います。英語、歴史、理科、音楽など生きてきて無くても困った経験がありません。高校生になると国語でも古典や漢文、読書感想文などこいつらの存在意義はなんですかと問いたくなるレベルです。
使う判断理論なら税金、社会の仕組み、法律を追加するべき
学校教育って肝心な社会で生きていくための仕組みは教えてくれません。税金について、冠婚葬祭や就職といった人生のターニングポイントである行事や社会の仕組みについて、法律などです。
これらは大人になってからも学生の頃に教わりたかったなあと思うものばかり。大学に入って、ようやく倫理観や著作権などの工学分野の法律について学びましたが、少し遅い。
プログラミングの意味について
話を戻して、プログラミングの意味や必要性について文部科学省の資料を元に考えてみます。
物事をブラックボックス化しない
昔、インターネットの仕組みを先生に尋ねてみると、中にちっちゃいおじさんがいて、一生懸命仕事してるなんて教わったことがありますが、そんなわけない。結果だけ知っていれば良い、中身は見ないというのがブラックボックスです。
物事には仕組みがあるので、1から詳細に知る必要はないと思いますが、概念は理解したほうが絶対に良いです。小学校の段階では、このあたりの概念や生活に役立っていることを学ぶを目的にしているそうです。
プログラミング能力自体を国民に身につけるという意図はない
当然といえば当然です。国民全員がプログラミングがカタカタできたら、ちょっと怖いですよね。
そこ目的としたら、おかしなことになるので、学校教育を通じて、興味を持った人はプログラミングや情報工学の道に進んでいけば良い。
興味を持てなかった人も、最低限、どのような仕組みや概念で社会の役に立っているかを知っておくべき。
また、インターネット上での情報の取り扱いや著作権など知識を身に付けて犯罪に巻き込まれないようにという意図があると考えています。
こんなプログラミング教育をすると枯れる
これは余談ですが、自分が体験したエグいプログラミングの教わり方を紹介します。こんなやり方がもし学校教育であれば意味ないのでやめてほしい。
紙でプログラムの授業をする
キツイです。C言語やJAVAを紙に写経するような講義があったのですが、全く意味がわかりませんでした。
自分が書いたコードがそもそも試せないので動くかどうかすらわからん
紙で考査を行い激渋の採点
字が汚いと減点される可能性があり、本人の理解度とは関係ない部分にてバツがつきます。また、自分が打ち込んだソースコード試したいし、、、これじゃあ、暗記テストみたいだし、タブとかで変換して固定文言だすので、実務と直結もしない。
大人の判断で子どもの可能性を潰してはいけない
結局なにが言いたいかというと目次の通り、大人というか、親の判断で子どもの可能性を潰すなということです。自分の体験談などではなく、今後の展望を考えた上で、子どもの学習環境を整えることが大切です。
そのためには、子どもだけではなく大人も常日頃勉強しておく必要があるのかなと思います。